【社労士解説】2025年10月「撤廃見送り」は安心材料ではない。社労士は次の拡大を見越してどう考えているか
社会保険の適用拡大は、短時間労働者への適用拡大の取り組みの一環として計画されていました。
制度による雇用の歪みを解消し、就業調整といった不公平をなくすことで、保険の有無ではなく純粋な能力や必要性で人材活用ができる社会の実現が目指されています。
しかし特に焦点となっていた「短時間労働者に対する社会保険の規模要件(従業員数)の撤廃」については、2025年1月に適用が当面見送られたという報道がなされました。このニュースを受けて、多くの経営者や人事担当者の皆様は「これで一安心」と感じられたかもしれません。
社労士の立場としては、この社会保険の適用拡大の動きは手放しで「歓迎」できるものではなく、現状の再点検と戦略的な対策を練る猶予期間と捉えるべきだと考えています。
今回は、社会保険労務士として現場で肌身に感じている実態を踏まえ、今後の企業の取るべき対応について解説します。

この記事の監修者
近藤雅哉
(社会保険労務士 / インプル社労士事務所 代表)
社労士法人で最大35名のマネジメントを経験し、人事コンサルティングに特化した株式会社In-proveを設立。続けてインプル社労士事務所を立ち上げる。人事と労務の両面から中小企業の発展を支えている。
適用拡大の「実態」とは
現在、適用拡大の対象は「従業員数51名以上」の企業にまで広がっています。私たちがこの規模の企業さまと接する中で見えてきたのは、短時間労働者の働き方が二極化しているという実態です。
社労士として、労働者の皆さまは「扶養の範囲内で働きたい」という意向を強く持っていることを痛感しつつ、以下のようなご相談の増加を感じています。
- 労働時間を「大幅に増やしたい」層
「どうせ社会保険料を支払うなら、いっそしっかりと働いて保険料負担以上の収入増を目指そう」と決断し、労働時間を大幅に増やし、週30時間以上(一般の正社員と同じ)の働き方を選ぶ方々が一定数います。 - 労働時間を「減らしたい」層(多数派)
一方で、最も多く見られるのは「家庭との両立や手取りの減少を避けたい」という理由から、労働時間を減らして週20時間未満に抑制する方々です。
これは皮肉なことに、この改正が「働く時間を減らす」ことにインセンティブが働くという側面を持っていることを示しています。企業側から見ると、せっかく戦力として期待していた人材が、労働時間を減らさざるを得ない状況を生み出しているのです。
企業規模要件の引き下げ、今後はどうなる?
短時間労働者に対する社会保険の適用拡大(週20時間以上、月額8.8万円以上など)における「企業規模要件」は、今後約10年かけて段階的に引き下げられ、最終的にはすべての企業に適用されることが、すでに改正年金法で定められています。
現在「従業員数51名以上」の企業に適用されている規模要件は、以下のスケジュールで段階的に縮小・撤廃される予定です。
| 施行時期 | 企業規模要件(厚生年金被保険者数) |
| 2027年10月 | 36人以上の企業 |
| 2029年10月 | 21人以上の企業 |
| 2032年10月 | 11人以上の企業 |
| 2035年10月 | 10人以下の企業(事実上の規模要件撤廃) |
つまり、現時点で従業員数が50名以下の企業様も、2027年以降、順次対象に含まれていき、2035年10月には企業規模にかかわらず、週20時間以上の要件を満たす短時間労働者が社会保険の加入対象となります。
また企業規模要件の撤廃と並行して、もう一つの重要な要件である「月額賃金8.8万円以上(年収換算約106万円)」、いわゆる「106万円の壁」についても撤廃の方向性が示されています。
これも改正年金法に盛り込まれており、法律の公布から3年以内に実施される予定です。全国平均の最低賃金が一定水準を超えることを一つの目安として判断されます。この要件が撤廃されると、極端な話、週20時間以上という労働時間要件を満たせば、月額賃金の額にかかわらず社会保険の加入対象となる可能性が高まります。これにより、短時間労働者の社会保険加入のハードルはさらに下がることになります。

対策を打たずに放置したときの、3つのリスク
社会保険の適用拡大を「まだ先の話」「うちの規模には関係ない」と放置することは、経営に直結する深刻なリスクを生み出します。短時間労働者の雇用環境が大きく変わる中で、変化への対応を怠ると、企業は以下の3つの問題に直面するでしょう。
1. 労働力の「不可逆的な流出」リスク
最も避けたいのは、長く活躍してくれた優秀な短時間労働者の流出です。
適用拡大が適用される企業が増えるにつれ、労働者は手取りを維持するために「週20時間未満」での就労を強く求めるようになります。対策を怠り、曖昧なシフト管理や労働時間管理を続けていると、労働者が自身で労働時間を調整し、結果的に戦力として計算していた労働時間が大幅に減少します。
さらに、社会保険加入を避けたい労働者が、最初から適用対象外の「小規模な競合他社」へ流出する可能性も高まります。一度流出した人材を取り戻すのは極めて困難で、採用コストの増大と生産性の低下という不可逆的なダメージとなります。
2. 人件費上昇による「利益圧迫」リスク
適用拡大の要件を満たしたにもかかわらず、手続きやルールの整備を怠ると、法定福利費という「固定費」の予期せぬ増大を引き起こします。
これは、本来であれば従業員への賃上げや設備投資、あるいは新たな事業への「還元できる原資」が減ることを意味するからです。
事前のシミュレーションなしに増加すると、原価計算や価格戦略に大きな狂いが生じます。特に価格転嫁が難しい業界や中小企業では、利益率が圧迫され、結果として正社員への賃上げ原資や新規事業への投資原資が削られることになり、企業の成長戦略そのものが停滞しかねません。
3. 法令違反と「信用失墜」リスク
短時間労働者の社会保険加入は、もはや「任意」ではなく「法令上の義務」です。要件を満たしているにもかかわらず、加入手続きを怠ったり、加入逃れのために意図的に不適切な労働時間管理を行ったりした場合、法令違反となります。
行政による立ち入り検査(調査)が入った場合のリスクは、過去に遡って社会保険料の支払いを命じられるだけではありません。
過去に遡って社会保険へ加入する場合、会社側の手続き不備による遡及加入となるため、対象労働者から保険料を遡って回収することは信頼関係の悪化につながり、難しいという現実があります。その結果、本来は労使折半で負担すべき保険料についても、遡及分は事業主が全額負担するケースが少なくありません。
このようなトラブルは採用市場においても致命的な打撃となり、「法令順守意識の低い会社」というレッテルを貼られ、優秀な人材の確保がさらに困難になる悪循環に陥ります。

経営者・人事責任者が取るべき2つの対策
現在「51名以上」の企業はもちろん、「50名以下」の企業も、将来に備えて先行して以下の対策を行うことをおすすめします。
1. 短時間労働者の「働き方」の再定義
単に法律の要件を満たすだけでなく、短時間労働者の方々が「どう働きたいか」をヒアリングし、自社の採用戦略と合致させる必要があります。
- 「戦力化」コースの明確化
社会保険に加入してもらう代わりに、昇給・昇格の道筋や、スキルアップのための研修制度を明確に提示し、「ここで長く働きたい」と思わせる魅力的な働き方を提案する。 - 「週20時間未満」コースの設計
家庭の事情等で扶養内を希望する方には、週20時間未満を厳守できるシフト管理を徹底し、労働時間を超えそうになった際のアラートシステムを整備する。
2. ルール整備とシミュレーションによる「見える化」
人件費の上昇を単なるコスト増と捉えるのではなく、事前にシミュレーションし、経営へのインパクトを把握することが重要です。
| 区分 | 取り組み事例 | 必要性 |
|---|---|---|
| 財務計画 | 社会保険料負担増の正確なシミュレーション | 加入要件を満たす従業員が増えた場合、会社負担額がどれだけ増えるかを具体的に試算する。 |
| 就業規則 | 適用拡大に伴う雇用契約・賃金規程の改定 | 短時間労働者の「社会保険加入有無」に応じた労働条件、賃金の計算方法、評価方法を明確に定める。 |
| 生産性向上 | 業務の効率化・DX推進 | 人件費上昇を上回る付加価値を生むため、ルーティン業務の自動化やムダの排除を徹底する。 |
社労士事務所の活用:ルール整備と円滑な手続きを
社会保険の適用拡大は、貴社にとって単なる手続き上の負担増ではありません。優秀な人材の離脱を防ぎ、労働力を確保するための「戦略的な労務管理」が求められるテーマです。
インプル社労士事務所では、適用拡大による会社側の負担を最小限に抑えつつ、従業員のエンゲージメントを向上させるためのルール整備とお手続きをトータルでサポートします。
- 週20時間の厳守を可能にするシフト・勤怠管理ルールの整備
- 短時間労働者の雇用契約書、就業規則の改定支援
- 社会保険加入・資格喪失手続きの代行
「うちは50人以下だからまだ大丈夫」と静観している間に、将来の改正が突如として現実のものとなるかもしれません。

プロのアドバイス、受けてみませんか?
まずは、貴社の現在の短時間労働者の状況をお聞かせください。労働時間の背後にはさまざまな事業や社内ルールが理由として存在します。専門家の目線で紐解き、最適な対策案をご提示いたします。インプル社労士事務所に一度ご相談ください

